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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)852号 判決 1968年5月31日

理由

一  控訴人がその主張のとおりの約束手形一通(以下「本件手形」という。)を所持していることは、甲第一号証の顕出およびその記載自体にてらして認めることができるところ、控訴人は、被控訴人が右手形の振出人としてその支払義務がある、と主張するから、以下検討する。

二(一)、まず控訴人は被控訴人自らが本件手形を振出したものであると主張し、成程控訴人が本件手形であるとして証拠に提出している甲第一号証の振出人名下に顕出されている印影が被控訴人の真正な印章の押捺により作出されたものであることは、当審における被控訴人本人尋問の結果によつて容易に認められるところであるから、右甲号証(本件手形振出欄)は一応その成立を推認しうるようである。しかしながら、《証拠》を総合すると、本件手形は被控訴人の妻であつた石田喜代子(現在離婚により本谷喜代子)が被控訴人の承認を得ることなく、ほしいままに被控訴人の印章等を冒用して振出したものであることが認められる(これに反する証拠はない。)から、結局本件手形は偽造の手形であつて、控訴人の右主張は認めることができない。

(二)、次に控訴人は、本件手形の振出が被控訴人の妻喜代子の行為によつた場合、右手形振出行為は民法七六一条にいわゆる「日常家事に関する法律行為」にあたるから、被控訴人において本件手形金の支払義務があると主張している。

夫婦間のいわゆる日常家事代理権に基いて、夫婦の一方例えば妻は、夫婦共同生活の運営に必要なかぎりにおいては他方すなわち夫の名義の借財をする権限を有するのは勿論のこと夫名義の財産を処分することができるものであり、日常家事上必要なかぎりにおいて妻がなした借財に関して夫名義で約束手形を振出す等手形行為をなす権限をも有するものと解するのが相当である。

すなわち、手形行為であるからと言つて日常家事行為に親しみがたいと即断すべきではない。けだし、夫婦間の共同生活の運営の必要上借財のために夫の名義を以て約束手形を振出す等手形行為をなすことは、妻の「日常家事代理権」行使の一方法として有効なものと解することが、現代市民社会生活上の社会通念にてらし極めて相当というべきであるからである。

もちろん、そうであるからといつて、妻が一般的に夫名義の約束手形を振出す等手形行為を為しうる権限があるというのではなく、日常家事代理権行使の範囲内においてのみその振出等の権限を肯認できると做すべきは前にみたとおりであつて、結局は当該夫婦の社会的地位、職業、資産、収入等を含めた現実的な共同生活の具体的な規模・状況に応じて手形行為を相当とする必要性と取引高(手形金額)の範囲内において個別的に妻の夫名義による約束手形振出行為等手形行為を適式有効と做すかどうかを決するのが相当であると解される。

いま本件につき考究すると、《証拠》によると、被控訴人と喜代子とはかねて(約二〇年前)から夫婦であつたところ昭和三八年一一月二一日離婚したことおよび喜代子は昭和三六年一二月二五日頃松風洋三に対し越年資金等に充てたいということから金二〇〇、〇〇〇円ほどの融資方を懇請し、同月二八日頃同人の世話で控訴人から金二〇〇、〇〇〇円の貸与を受け、その際額面金二〇〇、〇〇〇円の被控訴人名義の約束手形を控訴人に差入れたが、その後右手形は幾度か書替られ、最終の手形が本件手形であつたことを認めることができ、これに反する証拠はない。

そうすると、喜代子の、本件手形振出行為およびその基因たる昭和三六年一二月二八日付金二〇〇、〇〇〇円借用行為は、すべて被控訴人と喜代子との婚姻中の行為にあたることは明らかなわけである。しかしながら、《証拠》によれば、次の事実を認めることができる。(反証排斥部分省略)

1  被控訴人は、明治二〇年二月二七日に生れ、元来金融業を営んでいたが、昭和三五、六年頃は既に老令(七三才位)に達したので専らアパート経営をして生計を立てていたこと。

2  被控訴人と喜代子とは約二〇年前結婚しその間に三人の子供をもうけたほか、喜代子には先夫との間の子供四人があつたので、昭和三七年、八年頃の家族は合計九人であり、家計は、毎月金七〇、〇〇〇円位で賄われていたこと。

3  被控訴人は、前記アパート経営については火災保険契約の締結そのほか一切万端を自らの手で行い、喜代子に任せたことはなかつたこと。

4  喜代子は、被控訴人から家計一切を任されていたのを幸いに、連れ子四人の面倒をみる等の必要から、しばしば勝手に被控訴人名義で借財したり、或は被控訴人の財産を着服したりし、その発覚の都度被控訴人から諫言を受けていたが、遂にそのことが原因で昭和三八年一一月二一日正式に離婚するに至つたこと。

5  なお、昭和三六年一二月頃被控訴人方では他から金二〇〇、〇〇〇円程の借財をしなければならない事情は存しなかつたこと。

以上認定の諸事実に、昭和三六から八年頃金二〇〇、〇〇〇円という金高は通常の家計においては必ずしも少額なものではなかつたという事情(このことは社会通念に徴し明白)を勘案すると、喜代子の前記金二〇〇、〇〇〇円の借財行為およびその担保としての同額の本件手形振出行為は、いずれも被控訴人方家計においては日常家事行為の範囲を逸脱したものであり、むしろ、喜代子がほしいままに日常家事以外の用途に使う意図、目的のもとに被控訴人名義を濫用して行つた一連の借財に関する行為であつたに過ぎないものと認めるに難くはない。

そうすると、控訴人の「日常家事行為」の主張はこれを認めることができない。

(三)  更に控訴人は、喜代子の本件手形振出行為が日常家事行為の範囲外のものであつたとしても、松風洋三および控訴人としては、当時右振出行為が日常家事行為の範囲内のものであると信じ、かつ信じることにつき正当の理由が存した、と主張している。

《証拠》によると、松風洋三は東京海上火災保険株式会社に勤務し、昭和三三年頃から火災保険に加入してもらつていた関係から被控訴人方に出入りするようになつて妻喜代子とも知合い、昭和三六年一二月二五日頃喜代子から、先夫との間の連れ子についての費用や年末の資金ならびに火災保険金の支払に必要であるから金二〇〇、〇〇〇円ほど融資方申込まれたので、控訴人に紹介して同額の融資を受けさせ、その際同額の被控訴人名義約束手形を担保として差入れられたが、所定の期日までに決済されることなく、その後何度か右手形は書替され、最後に差入れられたものが本件手形であつたことを認めることができ、これに反する証拠は存在しない。

右認定事実によれば、控訴人が最初に被控訴人名義の約束手形の差入れを受けたときには、その手形の振出が被控訴人方日常家事に関してなされたものと、控訴人側で信じていたものと考えられない節もないとはいいがたいところである。

しかしながら、前記のとおり、当時においては金二〇〇、〇〇〇円の金高が一般家計上決して少額のものとはいいがたく、また右認定のとおり本件手形はいわゆる書替手形で、かつ最初の手形差入れ後一年以上に亘り何回か手形の書替が行われて最後に差入れられた手形であるから、控訴人の喜代子に対する融資金は早くから回収困難に陥つていたものということができる。しかるに、《証拠》によれば、控訴人は被控訴人には最初から面会したことはなく、本件手形による借財に関してはすべて喜代子との間松風洋三の仲介で事を運んで来たものであり、他方松風洋三もまた火災保険の件などで日頃何回となく被控訴人と面談しながら本件借財の件については、一度も被控訴人に貸したことがないことが認められる(これに反する証拠はない)。なおまた控訴人は大阪市北区中之島に、被控訴人は同市城東区蒲生町に住所があり比較的近距離のところに居住していることは一件記録に徴し明白であり、かつ昭和三六年頃以来被控訴人方に電話の存したことは原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によつて認められるところである。

以上の諸事実からすれば、本件手形の振出発行は喜代子の日常家事行為と做すには困難があり、かつその回収もむずかしくなつていたわけであるから、控訴人としては、本件手形差入前に、自ら或は松風洋三を介し、被控訴人方に赴くか或は郵便電話を利用するかなどして、被控訴人本人に直接手形債務負担意思の有無を確かめる措置を講ずる必要が十分あり、かつ容易にかかる措置を講じうる状況下にあつたにもかかわらず、それ相応の適切な措置を講じなかつた(講じたという証拠はない。)ことは、控訴人に過失があつたものというに難くはない。

以上縷々説示の諸観点からすると、控訴人(および松風洋三)において、本件手形を取得するに際し、その振出が喜代子の日常家事に関する代理権行使の範囲内の行為と信じ、かつ信じたことに正当の理由を有していたということは、特に手形金額、従前の経緯および適切措置の不存在等の事情に徴し、これを認めることができない。

よつて、控訴人の前記表見代理の主張も認めることができない。

三  以上の次第であるから、控訴人の本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく失当であり、これを容れなかつた原判決は相当であり、本件控訴は理由がないものというべきである。

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